こんにちは。うりぼうです。
山を歩くときに、荷物ってどのくらい持って歩いているのでしょうか。
日帰りなのか1泊または連泊なのか、山小屋に泊まるのかテント泊なのか。
夏なのか冬なのか。
人により、季節により、行先により、日数により、千差万別ですよね。
では、自分がどのくらいの荷物を持って歩くことができるのかは、知っているでしょうか。
それを持って、少なくとも数時間、アップダウンがあったりバランスのとりづらい山道を歩くことができるでしょうか。
今回はそんなことにまつわる話を。
表丹沢、鍋割山
鍋割山(なべわりやま)は、丹沢山系の表側にある1272mの山です。
丹沢山系の中ではアクセスがしやすく、日帰りできる人気の山です。
山頂には鍋割山荘という山小屋があり、名物の鍋焼きうどんなどを食べることができます。
丹沢は野生の二ホンジカが多く生息しており、その影響で山ビルが多いことでも有名です。
山ビルは気温と湿度の高い時期に活発に活動するので、私が丹沢に行くのはもっぱら秋から春の間です。
涼しくなってくると、山歩きも楽になりますしね。
初の丹沢
丹沢は前々から気になって本などで調べていました。
近場の高尾山や奥多摩を歩き回っていた私も、ついに丹沢へと足を踏み入れます。
山ビルのことは調べていたので、時期を外して秋になってからの丹沢デビューとなりました。
初めての丹沢は、鍋割山と決めていました。
丹沢山系はそこまで標高が高い山はないのですが、山深いので、まず登山口までのアクセスが大変なのです。
奥の方まで歩くには、よっぽどの健脚でもない限りは山小屋泊まりを考えなければなりません。
交通機関のアクセスが良いことプラス初心者向け、という少ない選択肢の中から、鍋焼きうどんのおいしそうな写真に誘われて鍋割山を選びました。
海の近い神奈川県なので、登山口になる大倉バス停の標高は290mです。
ここから1272mまで上がるので、単純に考えても1000mほど上がることになります。
高尾山の標高差が400mほどなので、2.5倍の標高差。この時点で、「初心者向け」ではないような気もします。
しかしながら、少しずつ山歩きの体力もついてきたと感じていたこともあり、新たな挑戦の段階と考えていました。
命の水
事前に調べていた情報の中に、おもしろいものがありました。
鍋割山は、水源がありません。
それなのに、鍋焼きうどんを名物としています。
山小屋として、予約をしておけば泊まらせてももらえます。
では、水はどうしているのでしょうか。
鍋焼きうどんの、うどんや具材は?
水以外にも、Tシャツやバッヂを売っていたり、トイレが小屋の横にあったり。
必要な物資は、どうしているのかというと。
山小屋主の方が、毎日何十キロというおそろしい量の荷物を、足で山頂まで担ぎ上げているそうです。
しかし、標高差1000mの山です。
そして、小屋を開ける前からひっきりなしに登山客がおとずれ、小屋を開けると同時に次から次へと鍋焼きうどんの注文が入ります。
たとえ空身でも一日に何往復もできる山ではありませんし、何十キロも担いで上がることは、1回でもできない人がほとんどかと思います。
それを、毎日1回やっているという小屋主の強靭な体に感服してしまいます。
とはいえ、やはりすべての荷物をお一人で担ぎ上げることはできないとのことで、鍋割山の登山口には水や物資が置いてあるのです。
それを、鍋割山に登る人たちに、可能な範囲で持ってきてください、というシステムになっています。
ボランティア歩荷、というやつです。
「歩荷(ぼっか)」とは、字のごとく、歩いて荷を運ぶことです。
アルプスなどの、大量の登山者が訪れたり、険しい高山だったりする場所には、ヘリコプターで物資を運ぶところがあります。
低山では、高い木が茂っていたり、そこまでたくさんの登山者が訪れることもないため、物資は人の足によって運ばれることがほとんどです。
アルプスでも、すべての山にヘリコプターが入れるわけではないので、歩荷はやっているようですしね。
とはいっても、私たちのような一般の登山者に持てる荷物はごくわずかです。
自分の荷物だけでもふらふらしてしまうくらいですしね。
しかし、せっかく鍋割山に行くのだから、少しでも何か運んで貢献したい、と考えていました。
林道の終点に着くと、写真で見た光景そのままに大量の水の入ったペットボトルが置いてありました。
1リットルのペットボトルに入った水や、2リットルの水、中には4リットルのものも。
トイレットペーパーもなんかも置いてありました。
ここまでは小屋主が車で運んでくるようです。
もちろん一般車両は林道には入れません。
水の入ったペットボトルたちの前でしばし思案しました。
自分が、自分の荷物以外にどれだけの重さまで背負えるのかがわからなかったのです。
初回なので無理をせず、2リットルのペットボトル1本にしました。
この日自分が背負ってきたザックは、家を出る前に量ってみたら6キロほどでした。
合計8キロ、そこに、自分の体重や来ている服や靴の総重量を、これから1000m上まで担ぎ上げるんだ、と考えても、なにせ経験がないのでどうにも想像がつきません。
行けども行けども
登り始めは、ゆるやかな樹林帯です。
途中で川を渡り、少しずつ山道は急になっていきます。
息が切れ、座りやすそうな場所を見つけたので座って少しだけ休憩しました。
すると、明らかに異様な量の荷物を持った人が、ゆっくり、しかしペースを乱さずに登ってきます。
「ちょっと、そこどいて」
言葉を発するのもきつそうでしたので、さっと場所をあけました。
私が座ったところは、なんと鍋割山荘の小屋主が本物の歩荷のときに使う休憩所だったようです。
小屋主の背負っている荷物の量に驚きすぎてなにも言葉の出ない私に目もくれず、水分補給をした小屋主はあっという間に休憩を終わらせると、また山を登っていきました。
私も後を追いましたが、明らかに何十キロも背負っている人にまったく追いつけないどころか、どんどん離されるばかりです。
小屋主は見えなくなり、ひたすら続く登りの道に、若干うんざりしながら歩き続けます。
あ、あれが山頂かな、と思ってしまうような場所が何度もあり、そのたびにがっかりしながら、1000mの標高差の過酷さを痛感します。
荷物が肩に食い込みます。膝や腰にも普段とは違う重みを感じながら、じりじりとカタツムリのように登り続けます。
(水、無理したかな…)
1リットルにすれば良かった、なんなら持ってこなくても良かったんじゃないのか、と後悔しきりです。
だんだん、なにも考えられなくなってきます。
右、左、右、左。
足を見ながら唱えます。
たまに、ドーン、と遠くで大きな音が聞こえます。
こんな朝から花火でもあるまいし、と音のする方向を見ると、木々の間に大きな富士山が見えました。
富士山て、こんなに近いっけ、としばらく呆気にとられます。
大きな音は、富士山の近くの自衛隊の演習場からかな?
ぼんやりそんなことを考えながら、やがて、本物の山頂にたどり着きました。
鍋割山荘と鍋焼きうどん
山荘の前の広場には、数名の先客がいました。
広場の向こうの街を見下ろすと、その先には海が見えました。
そして、背中には大きな富士山です。
疲れと、初めて見るすてきな景色にぼんやりしたまま、運んできた水を山荘に届けようと中に入ります。
「ザックは外!書いてあるでしょ!」
鋭い声で注意され、慌てて外へ飛び出します。
外に出ると、確かにそう書いてあります。
ザックをそっと小屋の外に置いて、財布と水だけ持ってもういちど中へ入ります。
「水はここへ」
と書いてある場所へ水をそっと置きます。
「あの…鍋焼きうどんをひとつお願いします」
と、先ほど山中で会った小屋主にそう伝えると、小屋主は先客の鍋焼きうどんを作りながら無言で頷きます。
またなにか失敗して怒られやしないだろうか、とハラハラしながら鍋焼きうどんが出来上がるのを待ちます。
しばらくして、「鍋焼きできたよ」と声がかかりました。
おそるおそる取りに行くと、「寒いから中で食べたらいい」と言われました。
本当は、外で食べようかと思っていたのですが。
畳につゆを飛ばして怒られやしないか、七味を入れすぎて怒られやしないか、かぼちゃの天ぷらを食べるタイミングがなってないと怒られやしないか、などと、あらゆる怒られる可能性を想定し、小屋主の目の届かないところでひっそり食べるつもりだったのです。
たったひとり、小屋の中に座って、粛々と鍋焼きうどんを食べ始めます。
火から下ろしたばかりの鍋焼きうどんは、熱すぎて口の中を火傷しそうになりました。
冷ましながら少しずつ口に入れると、じんわりと温かさが身にしみていきます。
ぺろりとつゆまで全部飲み干し、「ごちそうさまでした。おいしかったです」と鍋を返しに行くと、「うん。さっき、水、持ってきてくれたの。ありがとね」と返ってきました。
なんだかうれしくなり、鹿の絵の入ったTシャツを買おうかと見ていたら、「あんたはSサイズにしといたほうがいい」と小屋主がサイズをアドバイスしてくれました。
たくさんんの色の中から、緑がかった青のTシャツを選んで、小屋を出ました。
外に置いてあったザックを見て、あ、ザックと同じ色選んじゃったな、とそのとき気づきましたが、まあよし、です。
2リットルの水を小屋に置いてきたので、少なくとも2キロは荷物が軽くなったはずです。
ザックを持ち上げ、背負ってみて驚きました。
減ったのはたった2キロなのに、まるで手ぶらで歩くような感覚です。
こんなに違うのか、と不思議な身軽さで、どんどんと下りました。
しかし、登りが1000mなら下りも1000m。
異様に長い時間に飽きてきた私は、気づくとまた足を見ながら右、左、と唱えていました。
無心、というものを、山道で経験することになるとは。
無心をいちど経験すると、そのなんにも考えない時間の心地よさに驚きました。
無心と、考えごとの時間を繰り返しながら、バス停にたどり着きました。
バスの中から振り返ると、夕暮れの中の丹沢がバスを見送ってくれていました。
今回は、教訓というほどでもないのですが、
- 荷物は必要なものを必要なだけ
- 自分が持って歩ける重量を知る
こんなことを改めて考えました。
普段の生活だったら、今日必要ではないものがバッグに入れっぱなしになっていたり、必要なものを忘れてしまって、買ったりすることもあるかと思います。
皆さんはそんなことないのかもしれませんが、私はそんなことばかりです。
しかし山の中では、余計なものをもっているとその分重みとなって自分の体にのしかかってきますし、忘れ物も簡単に買うことはできません。
普段から、必要なものとそうでないものの見極めをしっかりしよう、と思いました。
帰りの乗換駅でいったん降りて、明日からの標高差1000m分の筋肉痛に備え、チキンソテー定食を食べて帰りました。
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